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「文京をゆく・その17」茗荷谷 第三回 ~切支丹屋敷の幽霊~

切支丹坂 
現在の切支丹坂が、別名「幽霊坂」と呼ばれている理由は
幽霊がよく出る心霊スポットだから、というわけではないようです。
(実は心霊スポットとしてはむしろ庚申坂のほうが有名なのだそうです……)

実際に幽霊が出るから、というよりは
この坂上一帯がかつて切支丹屋敷があったと伝えられる所だから、
ということのようですね。

ではなぜ、切支丹屋敷周辺の坂が「幽霊坂」といわれるのでしょうか。

切支丹屋敷とは、三代将軍家光の頃から禁制であるキリスト教の神父、
信者を取り調べ投獄する施設-裁判所兼刑務所として設けられたもので、
近くには警固を担当する七軒屋敷もありました。

そこには次のような高札が掲げられていたそうです。

   制札
 きりしたん宗門は累年
 御禁制たり、自然不審
 なる者有之申出すべし
 御褒美として、ばてれんの
 訴人銀五百枚いるまんの訴人
 銀三百枚、立かへる者の訴人 
 同断同宿拝宗門の訴人
 銀百枚
   天和五年五月  奉行
※「ばてれん」とは神父、「いるまん」とは修道士、「立かへる者」とは戻り信者のことです。

切支丹屋敷石碑 切支丹屋敷跡01 
この切支丹屋敷では相当、陰惨な責め苦・拷問が行われていたようで
江戸時代には日々、収容者のうめき声や断末魔が響き渡っていたと伝えられています。

切支丹屋敷跡02 
切支丹屋敷自体は途中、火災による消失などもあって
寛政4(1792)年には廃止になったそうですが、
壮絶な拷問の末、死んでいった者たちの怨念は明治以降になっても消えることはなかったのでしょう。

なおかつ、きりしたんという異端は江戸において
黒魔術を使う悪魔というイメージを植え付けられていましたから
当時の人々がこの一帯をたいそう恐れていたことは想像に難くありません。

おそらく、そういった切支丹屋敷の伝説そのものが
「幽霊」の存在を作り上げていったのではないでしょうか?

もっとも今では「高級住宅地」としての印象が強く、
そういったおどろおどろしい雰囲気はほとんど感じられなくなっています。

ほとんどの坂には「案内板」があるのに「切支丹坂(幽霊坂)」にはない理由も
そういった暗いイメージを地元の人たちがよく思わない面もあるようです。

ちなみに都内の「幽霊坂」で案内板があるのは港区三田と千代田区駿河台ぐらいで、
ほとんどの「幽霊坂」は地元住民の要望もあって標識もなく、改名されたりもしているようです。

まさに、存在自体があやふやな「幽霊」坂というわけですね。

確かに、自分が住んでいる場所に
そういったいわくつきの名称があるのは気持ちのいいものではありませんが、
その近くでかつて悲運な人たちがいたかと思うと、ちょっと切ない気持ちにさせられます。

ところで、
切支丹屋敷の周辺はかつて茗荷谷町とよばれていましたが、
現在の町名は小日向で「こひなた」が正式呼称だそうです。

小日向案内 
kohinata」とローマ字が振ってあります。

しかし古くからの住民は「こびなた」と呼ぶ人も多く、
筆者も学生時代から慣れ親しんだ「こびなた」の方がしっくりきますね。
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