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シリーズ「文京をゆく・その19」竹久夢二美術館・弥生美術館 第一回

もう一ヶ月も前のことになりましたが、
前回の「『文京をゆく・その18』音羽」は9月のシルバーウィークのときを利用して、
足を運んだときのものでした。

しかし、今年のシルバーウィークはなんと五連休、
まだまだ出かけられる余裕はあります。

というわけで、さらに連休を利用して
弥生美術館・竹久夢二美術館にも行って参りました。

今回はまさに芸術の秋シリーズ!?

筆者は個人的に竹久夢二氏のファンでもありますので、
今回は特に楽しい「文京をゆく」でした。

それではスタート!

弊社から弥生美術館・竹久夢二美術館に行くには
東大の塀沿いに向う形がわかりやすいでしょう。

まず、シリーズ「文京をゆく・その3」-無縁坂から不忍池へ-のときと
同じ道のりをたどっていきます。

無縁坂角 
あのときは、無縁坂を真っすぐに進んで不忍池に行きましたが、
今回は手前で左に曲がります。

この道は、しばらく不忍通りと平行して続いていますが、
右側は台東区池之端、左側は東大付属病院
「文京区」と「台東区」が入り交じった、「文京をゆく」泣かせの場所でもあります。(笑)

境稲荷神社鳥居 
おおきく左にカーブする手前の左手にその鳥居は見えてきます。

ここが境稲荷神社です。

境稲荷神社案内板 
案内板。

創建年代は不明で、文明年間(1469~1486)に
室町幕府第九代将軍足利義尚(よしひさ)が再建したというぐらいですから
かなり由緒正しい神社のようです。

弁慶鏡井戸 弁慶鏡井戸石碑 
案内板の説明にもあったように、社殿北側の一画には「弁慶鏡ヶ井戸」という井戸があります。

源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行ののどをうるおしたと伝え、『江戸志』など江戸時代の史料にも名水として記録がある。

と記してあるとおり、弁慶と源義経が飲んだと伝えられている
ロマンあふれる井戸です。

一時埋め戻したが、昭和15年に再び掘り出し、特に昭和20年の東京大空襲などでは多くの被災者を飢渇から救った。井戸脇の石碑は掘り出した際の記念碑で、造立者の中には当地に住んでいた画伯横山大観の名も見える。

その後も、戦争中に多くの人の飢渇を救ったそうで、
時空を越えて人々の命水となった、すばらしい井戸ですね。

ちなみに記念碑造立者の一人、横山大観記念館は、
この境稲荷神社の少し手前右の不忍通り近くにあります。

横山大観記念館もご紹介したかったのですが、
ここは台東区池之端ですので今回は見送りました。

ただ横山大観画伯といえば、
世界でも高く評価された日本画の重鎮とも言える人ですし、
いずれなんらかの形で紹介したいと思います。

池之端門01 池之端門02 
境稲荷神社のすぐ隣には東大の「池之端門」があります。
現在、東大病院新病棟建設のため一方通行となっていて、
池之端門からの車両の進入はできないようです。


暗闇坂 
ここから道は大きく左にカーブしていき、
言問通りに向って緩やかな上り坂になっていきます。

暗闇坂の花01 
おや、東大側にきれいな黄色い花が咲いています。

暗闇坂の花02 
筆者は花にはくわしくないのでよくわからないのですが、
竹久夢二美術館が近くにあることですし、ひょっとすると「宵待草」(よいまちぐさ)かも?
(植物学的には「待宵草(まつよいぐさ)」が正しいそうです)

竹久夢二美術館立て看板 
さて、そろそろ竹久夢二美術館ですが……

東大医学部戦没同窓生の碑 
東京大学医学部戦没同窓生の碑」、こちらをご紹介しておきましょう。

戦没同窓生の碑説明 

昭和6年(1931)から昭和20年(1945)まで15年にわたる戦争(満州事変、日中戦争、太平洋戦争)で東京大学医学部は同窓生の中から200人を越える多数の戦没者を出した。
彼らの多くはアリューシャン列島アッツ島からニューギニア、ガダルカナル島、中国、東南アジア、沖縄に拡がった戦火の中で、また広島・長崎で医療従事中に原子爆弾の劫火に斃れた。
私たち医学部卒業生有志はこの事実を悲しみ、これを後世に伝えるべく、基金を組織して戦没者と戦没地の調査を行い、同窓会鉄門倶楽部に医学部構内への追悼碑建設を提案した。
同倶楽部はこの事業の実行を決議して医学部教授会の承認を求めたが、未だその採決に至らず、いまや戦没世代同窓生は碑の完成を見ることなく世を去ろうとしている。
この「東京大学医学部戦没同窓生の碑」は、戦後最初の総長南原繁先生の戦没学徒哀悼の志を承け、この地にお住まいの鹿野家の皆様から温かいお心をいただいて建立するに至ったのであって、避けがたい状況下に、愛する人々のために一命を捧げた若者たちのいたましくも哀しい事実を歴史に刻む碑である。
私たちは戦没同窓生への思いを戦いに斃れた友を担って母校に帰り来る学友の群像に託し、近い将来同窓会鉄門倶楽部の決議が実行され、この碑が医学部構内に移築されることを期している。
新世紀最初の東京大学五月祭の今日、ここに同志あい集ってこの碑を建立し、音楽と花を捧げて深い哀悼を世に伝える。

平成13年5月27日
東京大学医学部戦没同窓生追悼基金



人の命を救うはずの「医学」に携わってきた先人たちが
はかなくも若い命を散らしてしまった歴史を私たちは忘れてはならないでしょう。

ちなみにこの説明にある「この地にお住まいの鹿野家」の
鹿野琢見氏は弥生美術館・竹久夢二美術館の創設者でもあります。

戦没同窓生の碑のすぐそばには
この池之端門から言問通りまでの長く緩やかなこの坂の案内板。

暗闇坂案内 
そう、ここは「暗闇坂」と呼ばれます。

現在はごく普通の明るめの坂になっていますが、
江戸時代には樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂だったそうです。

暗闇坂」は23区内に12ヵ所ほどあるそうで、
区内でももうひとつ、白山5丁目の京華女子高校の裏側にもあるとのこと。
こちらもいずれ紹介してみたいところですね。

さて、案内板の説明の後半にはこうあります。

この坂の東側鹿野氏邸(弥生2-4-1)の塀に、挿絵画家、高畠華宵の記念碑がはめこまれている。華宵は、晩年鹿野氏の好意でこの邸内で療養中、昭和41年7月に亡くなった。大正から昭和にかけて、優艶で可憐な画風で若い人たちの大きな共感を呼んだ。

高畠華宵記念碑 
こちらがその高畠華宵記念碑。

もともと、弥生美術館
幼い頃挿絵画家・高畠華宵に感銘を受けた弁護士・鹿野琢見氏が華宵の著作権を得て、
華宵の死から18年後に華宵のコレクションを公開すべく創設したものだそうです。

現在、弥生美術館の3階が高畠華宵常設コーナーとなっています。

弥生美術館手前 
さぁ、弥生美術館と竹久夢二美術館に到着です!

次回はいよいよ弥生美術館と竹久夢二美術館を紹介していきます!
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